年金制度の給付債務は、各人の給付債務を個別に計算し積み上げていくのが、一般的であろう。従って、企業内あるいは、グループ内において、対象の人員が特定されれば、一定の計算前提の基、給付債務が決定することになる。
一方、年金資産においては、各人の年金資産額を計算し積み上げて計上するのではなく、特定集団の債務等の比を基準に、総額から切り出すことにより年金資産の持分を確定することになる。以下、確定給付企業年金("DB")法上の、年金資産の持分算定の概要である。
DB法において、制度を分離する際の持分年金資産額は、以下の債務額の比に基づく按分により、特定のグループに割り振ることが定められている。
また、当該債務額に年金資産額が満たない場合、受給権者に債務相当満額の年金資産額を先に割り振り、残額を按分するアプローチも認めている。いずれにしても、DB法においては、基本的には、年金財政債務の按分により算定した年金資産額を、対象集団の持分としている。(なお、リスク分担型企業年金については、他のアプローチもある)
次に会社法基準の会計("JGAAP")上の取り扱いについては、次のとおりである。
JGAAPにおいては、複数の事業主制度をカバーする年金制度について、一部事業所の年金資産の持分を算定する際、合理的な基準として、次の債務等の按分比を用いることを認めている。(ただし、下記項目は例示としている)
一方、企業(グループ)の内部管理会計においては、いわゆるコロガシ計算による収支残により年金資産を各ビジネス等、特定の集団に割り振っているケースもある。ただし、収支残の起点、オープニングバランスの算定においては、上記各基準に準じて算定するケースが考えられる。
このように、DB法で定める持分年金資産と会計上の持分年金資産とでは異なるケースもあるため、M&Aにおける取引価格の算定に用いる持分年金資産額を、JGAAP等会計基準に基づくものを用いている場合、DB制度の分離の結果、移換した年金資産額との間に差異が生じ得ることがある。
ただ、本来的には、経済的価値的に適切な持分年金資産額を、価格算定上に使用することがより重要となるため、各実務による持分年金資産額の差異を認識しつつ、各加入者(集団)の年金資産の持分を、経済的価値の公平性の観点から検討することが必要になると考えられる。以下、仮想的な持分年金資産額を算定し、それを用いる検討アプローチの一例を記述していく。
特定の加入者集団の年金資産の持分計算
M&Aのターゲットとなる企業のビジネス部門といった特定集団の積立状況(一般的には、退職給付債務から持分年金資産を控除した額)が、取引上の価格算定に影響を与えることになる。DB制度は、制度全体として、過去も、将来にわたっても、健全な財政状態を保つことを目的として運営されているが、全加入者の中で、その特定集団にフォーカスし、当該年金制度への経済価値的な意味での"寄与分"を仮想的に算定することを考える。
もちろん、企業年金制度のスポンサーは、基本的には企業になるので、"寄与分"という言葉は適切でないかもしれないが、一方で、企業努力により捻出し、拠出した掛金の経時的な使われ方について、各加入者(集団)の制度加入の歴史、例えば、年金資産の運用パフォーマンスの良い/悪い時代に加入していた、事業主掛金(および加入者掛金)の拠出が低い/高い時代も加入期間中にあった、等、現時点の年金資産の形成にどれだけ"寄与"していたかを、その加入者(集団)について把握するのである。このような過去の加入期間中における"寄与分"の算定においては、ヒストリカルな年金資産の算定手法を採用することが適切であると考えられるが、これを、各加入者(集団)について統一的に当てはめることにより、算定できる結果(過去法手金年金資産持分)を、経済的価値公平性の判断基準の一つとすることが考えられる。
一方、M&Aといった、時間的制約がタイトな場面も多いなか、詳細な計算式・前提等検討する事項は種々生じたり、また、特に、規模の大きな年金制度においては、かなりの制約(時間、コスト等)が生じるが、本稿では、概論的な観点にフォーカスしていく。
"寄与分"計算の例
上述の各加入者(集団)における、"過去法的年金資産持分"、つまり、"寄与分"の算定 においては、次の算式が一例として考えられる。
T年末の寄与分
= T-1年末の寄与分 x ( 1+rt)
+ Cont - Bent + Otherst
+ (Cont - Bent + Otherst) x ((1+ rt)^ 0.5 – 1)
ここに、記号については、次のとおりである。
rt :t年度中の年金資産の運用利回り実績
Cont :t年度中の掛金額
Bent :t年度中の給付金額
Otherst :t年度中の他のキャッシュ・フロー
この算式は、前期末からをスタートとして、漸化的に記述している。初年度始の寄与分は、通常ゼロとなるが、他の制度から年金資産の移換があった場合には、その金額を考慮することも必要となるケースも考えられる。
また、運用利回りrtの算定においては、手数料等の組み入れの有無、考慮しない場合は、別途、他のキャッシュ・フロー(Otherst)に計上する等、代替的手法も考えられる。Contについて、標準掛金は各加入者(集団)のもの、制度全体としての特別掛金ならびに特例掛金の拠出があった場合、その割り振りは、一定の条件の基、各加入者(集団)に配分する(例えば、給与比を用いる等)必要もある。また、計算単位として、年次としているが、よりきめ細かく、例えば、月次にて計算すること等も検討する必要はあるかもしれない。
なお、算定された過去法的年金資産持分の制度全体の総額は、年金財政決算のタイミング・アプローチによっては、年金財政上の責任準備金の総額と一致するケースもあるだろう。
"寄与分"との比較による実務上の持分年金資産額の検討
各加入者( 集団 )について、実務的に算定された持分年金資産額と当該寄与分との比較により、経済的価値の公平性を検証してみる。その差異が大きい場合、この特定集団への年金資産の配分が過度であり、その差額の分だけ公平性が失われていると考えられる。また、特定の集団に対して、過度の年金資産の配分が行われている場合、当該集団のみならず、残された集団(移換元の年金制度の加入者集団)の年金資産の持分も歪んでいることになり、同じく経済的公平性が失われている可能性があることにも留意する必要がある。
従って、年金資産を移換する場合、上述のとおり、DB法上定められている該按分方法の選択において、持分年金資産についての経済価値的の公平性の検証は、この寄与分との比較により、実施する必要なプロセスの一つとなるだろう。また、DB法の観点(受給権の保護)からも、按分に使用する給付債務の特性に留意する必要は当然あるだろう。
検討プロセスの後、最適な按分方法を結論づけるところまで達しないケースも多いことが想定される。これは、DB法上の受給権保護に基づく制約の起因するためとも考えられるが、この場合、税務等の法的制約の許容する範囲で、経済的価値維持のため、取引価格への調整を、別途(DB制度外で)、実施することも考えられる。
他にも、企業の財務状況との整合性から会計上の持分年金資産額を、価格算定に用いる場合には、同様に、寄与分およびDB法に基づいて配分される年金資産額との関係にも留意し、必要に応じて、同様な価格調整を行うことも考えられる。
企業のM&Aにおいては、一般的には、年金資産の持分については、経済的価値がより重要になり、また、DB制度の実務(DB法の規定)においては、受給権の保護がより重要になる。これらは、互いに相反するものになるかもしれない。DB制度の分離により年金資産持分が定まったとしても、それは、経済的価値の公平性を維持したものとはならない場合が想定される。この場合、その対応として、寄与分との差額をベースにした価格調整メカニズムを組み込むことによって、関係者間でより納得感のある取引価格に近づけることも可能ではないだろうか。もちろん、複雑な取引形態もあり、ケースバイケースになるが、いずれにしても、年金債務に関して最適な価格付けがが行われるためには、多角的にターゲットの持分年金資産について検討することが必要と言える。