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日本におけるクローバック条項の是非を考える

執筆者 佐藤 優樹 | 2020年4月13日

近年、日本企業の間で、役員報酬についてのクローバック条項導入の機運が高まっている。国内大手製薬企業において、2019年の株主総会でクローバック条項の導入についての株主提案が過半数の賛成票を集めるなど、投資家からの導入の期待が高いことも見て取れる。本稿では、クローバック条項の基本的な定義と欧州の状況を整理しつつ、日本企業での導入の方向性について検討したい。
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クローバック条項とは

はじめに、クローバック条項の基本的な定義について整理したい。クローバック条項とは、業績に連動し支給された報酬を業績結果の修正などの事項をトリガーとして強制的に返還させる取り決めである。トリガーとなる事項や返還対象となる報酬、返還対象となる期間といった条項の詳細については、適用される法規制の影響を受けつつも、企業によって一定の幅がある。

この点、クローバック条項と類似した取り決めとして、マルス条項と呼ばれる取り決めが存在する。マルス条項とは、主に中長期インセンティブ(以下、LTI)について、支給される以前の報酬を減額ないし消滅させる取り決めである。クローバック条項と異なる部分は、最終的な支給が留保されている報酬を対象とする点にある。具体的には、複数年にまたがる業績条件が設定されている報酬や、退任後交付型の株式報酬などが相当する。実務においてはマルス・クローバック条項として、両社の区別が明確でないケースもしばしば見受けられる。

クローバック条項とマルス条項とでは、報酬返還を実行する上での難しさにも差異がある。マルス条項については、企業内での報酬算定/支給の仕組みの中で実現可能であり、比較的容易に報酬の減額ないし消滅が可能である。それに対し、クローバック条項の場合は、すでに本人に帰属した財産を没収する、という位置づけであり、企業内での報酬支給プロセスを超えた対応が必要となる。そうした場合においては、クローバック条項発動時に報酬がすでに何らかの形で費消されており(投資、譲渡、寄付など)、返還が困難なケースも想定される。また、支給済みの報酬を強制的に返還することへの法的根拠や税務面の取扱いなどについても論点があり、報酬返還を実行する難易度は比較的高い。

クローバック条項を巡る欧米の状況

欧米において、クローバック条項は一般的に見られるプラクティスであり、各国の法律および規制に基づいて設定されている。

米国においては、クローバック条項の根拠たる法規制が存在する(SOX法およびドッド=フランク法)。よって、米国企業では、それぞれの法律に求められている内容を満たした形で、制度が導入されている。企業がクローバック条項を導入することに法的な強制力が存在することは、米国企業の報酬水準、特に業績に基づき支払われる変動報酬が高額であることから、その健全性を十分に確保することが強く求められているという背景がある。(2019年8月2日弊社リリース『日米欧CEO報酬比較』参照)

欧州においては、金融機関を中心にクローバック条項導入の規制が敷かれている。また、各国のコーポレートガバナンスコードにおいて、クローバック条項について言及している国も多い。例えばイギリスでは、コーポレートガバナンスコード2018において、報酬の返還を可能とすることを要請している。また、2020年1月のコーポレートガバナンスコードの年次レビューにおいても、一部の企業がそうした取り決めを開示していないことを取り上げ、マルス条項およびクローバック条項の設定は報酬委員会の監督責任の観点から重要である、と明記している。こうした議論は欧州各国で見られ、依然として重要なトピックとして扱われていることが伺える。このように、欧州では基本的に強制力を持たない形ではあるものの、クローバック条項の導入を推し進めている状況にある。

日本におけるクローバック条項の在り方とは

では、日本企業において、クローバック条項はどのように考えればよいのだろうか。日本企業においても、繰り延べ報酬や株式報酬について、既にマルス条項の機能が備えられた設計となっている場合は多い。一方で、マルス条項を除いた厳密な意味でのクローバック条項の導入事例は依然として少なく、また、その開示内容についても、欧米企業並みとは言えない現状がある。

そうした状況の中で、日本企業のクローバック条項の導入が注目を浴びているが、投資家やステークホルダーの期待は、クローバック条項の導入というシングルイシューに留まるものでないことに留意しなければならない。日本企業の報酬水準の低さや業績連動性の低さは兼ねてより投資家から指摘されている点であり、より競争力のある水準と経営戦略に紐づく形での十分な業績連動性の確保が求められている。クローバック条項の導入は、こうした報酬体系の整備と併せて考えていく必要がある。

先進的な日本企業の中には、既に短期/中期タームで支払われる業績連動報酬を欧米企業に近いレベルで確保している企業もある。そうした報酬体系においては、経営陣に対する過度なリスクテイクやモラルの低下への歯止めとして、マルス条項やクローバック条項が求められる状況にあるといえる。

報酬制度の適切な運用を検討する上では、クローバック条項の導入の議論に先立って、順を追った検討が必要である。すなわち、先に述べた業績連動報酬の拡充による報酬体系の整備を起点とし、LTIについてはマルス条項を導入する。加えて、年次賞与を含めた全ての業績連動報酬について、報酬委員会による十分な審議を通じた裁量調整によるガバナンス機能を備えることにより、過度なリスクテイクや役員の不正行為に対する一定の備えを確保することができる。そうした報酬ガバナンスの仕組みを確立した上で、既存の報酬ガバナンス機能ではカバーできない事態が想定される場合に、その対応策の一つとしてクローバック条項を検討する、という形が基本的な検討の進め方であろう。

 加えて重要となるのが、ステークホルダーへの説明である。先にも述べたが、株主が真に求めているのは、クローバック条項の形式的な導入ではなく、経営戦略へのアラインメントと十分なインセンティブ機能を有する報酬制度の確立、およびそれに付随する経営陣の不適切なリスクテイクや不正行為への実効的な歯止めである。そうした実態を踏まえることなく、報酬ポリシーや業績連動報酬の仕組みについての十分な説明なしに、クローバック条項の導入状況のみを殊更に強調しても、ステークホルダーが求めている説明とは齟齬が生じるばかりである。

クローバック条項の肝は発動条件や対象となる報酬等を含めたその詳細設計である。すなわち、マルス条項やクローバック条項の目的や設計内容を開示することで、はじめて具体的な機能や想定される状況が明らかになる。クローバック条項がその企業の報酬制度の中でどのように働くのかを、報酬制度と併せて一体的かつ実効的に開示することにより、ステークホルダーへの説明はより一層厚みのあるものとなるだろう。

おわりに

 これまで日本においては、クローバック条項は、企業に高額な業績連動報酬が具備されていなかったことや法的根拠の曖昧さから必要性や有用性が低く、導入が積極的に検討されることは多くなかった。経営層の不祥事等の場合には、報酬の返上という対応を行うことによりその責任を明らかにするという日本独特の文化が、そうした機能を補ってきたともいえる。

しかし、ステークホルダーの多様化やガバナンス重視の潮流の中、基準が曖昧であり透明性が低い報酬返上では、もはや十分な透明性や説明力を確保することは難しい。そうした状況への対応として、大多数の日本企業が優先的に取り組むべき事項は、業績連動報酬の拡大や株式報酬の導入により、透明性を確保した形で報酬価値の大胆な変動を可能とさせることだ。現時点においては、クローバック条項の導入に過度に前のめりにならず、報酬制度全体を一体的に捉えた検討の中で、その意義を考えていく必要があるだろう。

執筆者プロフィール


リードアソシエイト
経営者報酬・ボードアドバイザリー
Work & Rewards

2018年にWTW入社。国内大手企業を中心に、経営者報酬制度の設計、運用支援に従事している。制度設計から開示支援、総会対応までの一貫した制度改革支援や、報酬委員会へのアドバイザリーとしての陪席を行っている。また、指名領域や組織人事領域においても支援を手掛けている。京都大学教育学部卒。


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