~グループ全体で事業リスクをコントロール~
日本企業では、保険実務を担当する部署が複数に分かれている場合が多いようです。火災保険は資産管理を担当する総務部、賠償保険は法的リスクを管理する法務部、PL保険は製造工程をチェックする生産管理部、役員賠償保険は取締役室、貨物海上保険は輸出入業務を担当する物流部といったように、担当業務別に保険手配を分けているのです。
しかし各専門部署は担当業務の専門家ですが、リスク管理の専門家ではありません。さらに言えば、海外子会社のリスク管理はどうなっているのでしょうか?
海外は自分の担当領域ではない、子会社は子会社に任せている、それぞれがちゃんと保険手配しているはずだ、という風に本社部門ではしっかりとしたリスク管理がなされていない場合が多いようです。
万が一、海外子会社で巨大な事故が発生し、甚大な被害を被った場合には、グループ全体の連結決算に大きな影響を与えることになるでしょう。もしそれが保険手配されていなかったらどうなるのでしょう。
欧米企業では、一人のリスクマネージャーもしくは一つのリスクマネジメント部門が全社グループ横断的に、国内海外を問わずリスク管理と保険手配を一括して行っています。
日本国内の保険手配を専門部署に分けて担当させていることは、一応機能しているのでまだ看過できるかもしれません。しかし、海外子会社の保険手配は現地任せで本社がリスク管理に全く関与していない状況であれば、それは大きな問題につながりかねません。
例えば、為替の規制が厳しいA国に工場を有する場合、その工場で何かが起これば、その工場の事業復興のためにA国の通貨をかき集めなければいけません。かといって、為替規制が厳しい国ではインフレ率が高いことが多く、その国にキャッシュをため込んでおくと、その価値が下がってしまいます。従って、事業復興をA国の事業に任せっぱなしにするのではなく、グループ全体で資金を集中させることも含めた、財務的なプランと能力が必要であり、グループ全体のリスクマネジメントが必要となるのです。
あるいは、サプライチェーンの中で重要な部品、特に外注がきかない部品をB国の工場で生産していた場合、その工場で何かが起これば、その工場の事業復興はグループ全体の命運を握ることになります。しかも、B国の事業復興を待っていられない可能性もあります。
そのような場合のために、いざとなったときには他の国の工場のラインの一部をその部品の製造に振り向けられるようにしておくなど、グループ全体で事業のリスクをコントロールしておく必要があるのです。そして、このようなグループ会社のガバナンスの強化は、近年の会社法改正や運用見直しの中でより強く求められているところでもあります。
加えて、海外子会社の管理で難しい問題の一つが、不祥事対策。海外子会社の不祥事で実際に多いのが、現地役員や従業員による着服です。
例えばコマツでは、2015年、同社米州調達センター所長を務めていた元幹部が出張旅費の架空請求により、累計4億円弱着服していたことが判明し、逮捕された事件がありました。
マスコミ沙汰になるような大それた事件は、自分の会社に無縁、と思う経営者が多いことと思いますが、海外子会社での着服事件は、規模の小さいものも含めれば、意外と多く発生しています。
これは、例えば現地の日本人CEOを交代させて引き締めを図っても、簡単に根絶できません。なぜなら、CEOや役員が代わった場合でも、現地の財務担当や営業統括担当の中間管理職は変わらず長く務めることが多いからです。これは、現地の事情をよく知り、同時に会社のことも知っている人材の確保が難しいということに加え、その上司が彼なら適切に管理するであろうと期待してしまうからです。
ところが実際は、現地に派遣された日本人CEOは、現地の業務や商慣習をよく知る中間管理職に厳しく当たることが難しく、他方、それをいいことに、現地の中間管理職が自ら着服したり、現地の取引先と結託して水増しした請求書を出させて着服したりする事例が、意外と多く見かけられるのです。
もちろん、着服による損失だけを埋め合わせればいいのではなく、保険さえかければ十分というわけではありません。海外子会社の管理が甘ければ、ビジネスがうまくいくはずがなく、これは経営問題そのものです。
しかし、このような海外子会社の不祥事をカバーする保険に加入しておけば、仮に不祥事が発生してもその損失がそのまま本社の財務諸表に影響を与えることを避け、経営責任の問題を避けることは可能となります。その間、海外子会社の管理体制を見直し、強化する機会を確保できるのです。
多くの欧米企業は、社員の不祥事や外部犯罪の被害を補償するCrime Insurance(犯罪被害補償保険)に加入しています。日本ではこの保険の存在すらご存じない企業が多数派ではないでしょうか。
経営がリスクを取るためのツールとしての保険活用の差が、日本と欧米の間にあることの一例です。
世界各国の保険を本社で一括して管理することは、ビジネス本来の活動に近い問題でも有意義です。子会社の自主性を重んじ、事業運営の多くを子会社の判断に任せている日本企業は多いでしょう。しかしながら、リスク管理は本社がしっかり管理すべき事項だと言えます。経営者にとって重要な責務の一つである、ガバナンスに直結するからです。
日本においても近年会社法が見直され、子会社を含めたグループ全体のガバナンスが親会社役員の責任であることが明示されました。子会社の不祥事や事故がグループ全体に与える損害として、親会社役員がその責任を法的に問われる状況となっています。保険手配も子会社任せにせずに、親会社できちんと手配、管理するべきなのです。
海外子会社がそれぞれ保険手配している場合には、ガバナンスだけではなく別の問題もあり得ます。
日本では調達可能な保険が、国によっては調達できないことがあります。もちろん、その逆もありますが。これは保険事業が多くの国において許認可事業であり、国ごとに事情が異なることに他なりません。その場合、グループ全体でリスク管理をしているつもりでも補償の穴ができてしまいます。
さらに、コストとしての保険料の問題もあります。3カ国で事業をしている企業がそれぞれ別々に10億円の補償の賠償保険に加入しているとしましょう。3カ国で同時に事故が起こる可能性は極めて低いのですが、それぞれ10億円のリスクはあると見込んでいます。その場合、本社一括で10億円の補償の保険に加入して補償対象を3カ国にすることにより、保険料の圧縮を図ることができます。
日本企業では海外の企業を買収した際に、そこにリスクマネージャーがいてグローバルなガバナンスのツールとして機能しているのを知って、わざわざ放棄してしまうよりも試しに使ってみよう、という発想で導入している例もあります。ただし陥りやすい問題点は、買収した企業のリスクマネージャーを本社が管理せず、治外法権化してしまうこと。この点に注意が必要です。海外は海外、日本は日本として完全に分離され、ガバナンスが全くきかない状況になってしまいます。
親会社が海外子会社を含むグループ全体の保険手配をすることは、リスクマネジメントとガバナンスの観点から非常に有意義で、欧米のグローバル企業ではごく普通に行われている手法です。グローバルプログラム、インターナショナルプログラム、マルチナショナルプログラム、GIP(Global Insurance Program)など呼び方はいくつかありますが、全て同じコンセプトのものです。
グローバルプログラムを導入することにより、海外子会社のリスク実態を把握すること、グループ全体で均一の補償内容と補償限度額の保険を手配することができます。国や子会社による加入漏れや重複も避けられ、ガバナンスの強化につながるでしょう。
次回は、グローバルプログラムについて説明します。
*本稿は『リスク対策.com』の連載・コラムへの寄稿2020/03/25 「グローバルスタンダードな企業保険活用入門-第3回 海外子会社のリスク管理に本社が関与しない問題点とは?」からの抜粋です。
Chubb損害保険株式会社 執行役員企業営業本部長、チューリッヒ保険会社 企業保険事業本部長を経て、2019年にWTWに入社し、現職を務める。
損害保険業界で40年の経験を持ち、著書に「国際企業保険入門(中央経済社)」がある。「2021年10月 東洋経済 生損保特集号」への寄稿など、各種メディアによる取材記事も多数。