〜2010年代に起きた7つの変化〜
本稿では、3回にわけて、タレントマネジメントに関する昨今の潮流と今後の展望について整理します。初回となる今回は、2010年代に起きた7つの変化をとりあげます。
2010年代の大きなトレンドの一つは、景気上昇局面とテクノロジーの発展により生じた人材争奪戦の激化を背景として、社員のエンゲージメントの重要性が増したことが挙げられます。
激化する競争の中で優れたタレントを引きつけ、引き止めるために、報酬などのいわば衛生要因を提供するにとどまらず、その企業の目的や理念そのものに共感ができ、自らが成長できる機会を得ることができるのかといった、よりソフトな要因が重視されるようになりました。そしてそれは、高いブランドを持った企業が消費者の体験をデザインして囲い込み続ける戦略を示した概念である顧客体験のアナロジーとして、社員を顧客のようにもてなし、その企業で働く意義を実感できる体験を与え続けるという、従業員体験(Employee Experience: EX)という概念へと発展します。
弊社の調査によれば、高業績企業ほど、「Inspiration: 目的やビジョンからインスピレーションを得られるか」「Drive: 俊敏に市場の先をいくような事業に携われているか」「Growth: 自分の潜在能力が発揮されると感じられるか」「Trust: 経営陣は自分たちに敬意を持って接しており、信頼に値するか」という、従業員体験の核となるような要素について社員がどう感じているかについて、他の企業と明らかな差異があることがわかってきました。
これらについてより優れた従業員体験を感じさせることは、例えば単純に金銭的報酬のみで動機づけるようなアプローチと比べて、人の持つ力をよりいっそう引き出すことができるであろうことは、直観的にも理解ができます。
会社と個人との関係性が変化し、また様々な技術やリソースによって優れた個人が起業や副業、他社への転職など様々な選択肢を持てるようになったことを背景として、そのような中でも優れた人材を辞めさせずに意欲を高めて会社への高い貢献を続けさせられるかどうかが、タレントマネジメントにおける重要な課題となってきたのです。
個人の意欲やエンゲージメントが重視されるようになったことは、優れたタレントの業績をどのように評価すべきかについても、変化をもたらしました。
Googleの元CEOエリック・シュミットがこれから求める人材を評して「スマート・クリエイティブ」という言葉で表現したように、高度に専門化が進み、決められた仕組みやプロセスの処理ではなくて新たな問題の発見や企画などの創造的活動にこそ価値が求められるようになったとき、ある優れた個人がもたらす価値、パフォーマンスは、他者との比較や目標の達成度合いなどだけで単純に測ることができなくなり、一人ひとりのパフォーマンスをより包括的に捉えることが必要になりました。
例えば優れた芸術家や科学者、アスリートのパフォーマンスの違いは正規分布でなくて「べき乗分布(ごく限られた人材が極端に高いパフォーマンスを出す)」に従うことが知られています。このような概念をビジネスパーソンにも適用することで、優れた個人に対して、その卓越性を正しく評価することが必要ではないかという発想が出てきたことは、個人のパフォーマンスの差異が顕著な職種や業態ほど、優れたタレントの意欲を高め続けるために必然であったと言えるでしょう。
そのような包括的な評価をしていくことは、単に表面的な数値業績だけで評価するという方法と比べて、また、パフォーマンスが高いが価値観に懸念がある人を排除するという古典的な人材管理の手法と比べて、優れた人材の貢献を認めて意欲を向上させやすいことから、EXやエンゲージメントを重視していくというトレンドを背景として、徐々に生じてきたのが2010年代の特徴です。
そして、これまでは当たり前なものとして誰も疑わなかった「評価のレーティング」についても、本当にそれが妥当なものかどうか、再考されるようになりました。
競争が激化し人材の確保が重要であったテック企業を中心として、他者と比較した結果で定められた評価のランク・レーティングそのものが、「本当に自分の貢献を評価してもらえているのか」という疑問や不満の対象として取り上げられるようになります。取り組むテーマが創造的で挑戦的なものであるほどリスクも高いわけですから、そのような仕事に取り組む中で全て横並びで紋切り型のランク付けをされてしまえば、意欲的に取り組む社員はいなくなってしまいます。単純な評価軸を用いて序列化・相対化するのではなく、それぞれが目指している成果や価値の違いを見極めること、つまり、相対評価から絶対評価への転換が求められるようになったと言い換えられます。
業績評価と人材評価が不可分となっていく中で、単純なカテゴライズや序列化ではなく、個人の成長やキャリアへの関連も含め個別に丁寧なコミュニケーションをとることが指向されます。
もちろん、例えば「レーティングレス」と呼ばれる、レーティングを撤廃する(ランクやレーティングをつけずにすべて個別に評価をして報酬を決定する)方法は、実務的な難しさもあり、必ずしも現時点で広く浸透したとまでは至っていないのが現状です。しかし、多くの優れた人材により高い価値を出してもらうことを目指す企業にとって、単純に下位20%を低く評価するという、「下位にならないように圧力をかける」性悪説的なやり方では、もはや多くの社員の共感を得て意欲を高めるためのツールとはならなくなってしまったということが、この変化の根底にあります。
評価という重要なイベントにおいて体験を個々人向けに「パーソナライズ」することによって、「その他大勢」として扱われているのではないという共感を生みながら社員のエンゲージメントを高め、創造的かつ挑戦的な目標に向けて高いパフォーマンスを出してもらおうとする、性善説的で新しい時代の価値観とますます不確実になる環境に適した方法とも捉えることができるでしょう。
このように、パフォーマンスがより包括的なものになり、相対的な差よりも個人の絶対的な価値や貢献に焦点が当てられるようになると、他の人との違いを説明するために評価を精緻にすることよりも、本人が意欲を高めるためのコミュニケーションを充実させることの方が効果が高いのではないか、という発想が生じます。
このような考え方から、マネジャーとの社員との一対一の面談を頻繁に実施しながら、パフォーマンスを高めるためのフィードバックを提供するという活動が、様々な企業で取り入れられるようになりました。
この文脈でのフィードバックは、「改善点を指摘して直させる」「できないことを突きつけて奮起させる」という、ネガティブなフィードバックとは印象が異なるものです。
むしろ、「強みをどう活かして高いパフォーマンスを上げるか」「どのような学習をすることでこれまでできなかったことができるようになるか」「そのためにマネジャーとしてどういう支援が提供できるか」といった、コーチングに近いコミュニケーションが重要になってきます。フィードバックにおいて相手の脳に「脅威」を感じさせない伝え方も研究されており、昨今注目されている「心理的安全性」とも整合したアプローチです。
こうしたコミュニケーションを、「相手におもねりすぎ、配慮しすぎ」、と捉える向きもあるかもしれません。しかしながら、相手を尊重して否定しない、マネジャーとメンバーとは「上下ではなく単なる役割の違い」という対等で健全な関係性に基づいた、自立した個人が協力して成果を出すために必要なコミュニケーションをとるという、実利的かつ現代的な側面を持ったものです。
このような極めてソフトな取り組みが重視される一方で、データと技術を重視したアプローチも大きく進展しました。
具体的には、人事に関するデータを用いた様々な予測の取り組みです。機械学習を活用した採用スクリーニングの予測精度の向上やそれに伴う業務の効率化、ハイポテンシャルを予測するための過去の業績データと人材情報の捕捉と活用、はたまた退職予測など、様々な側面でのデータの利活用が進展してきました。
しかし、特に人事の領域におけるデータの活用は発展途上であり、データ数が限定的であることやその情報の機密性やプライバシーとの問題、機械が意思決定すべきか、といった問題と合わせて、今後も引き続き議論が発展していく領域でしょう。
他方で、手法としては地道なやり方ではあるものの、人材の活躍の可能性を予測する手法として、いわゆる「構造化面接」という、事実に基づいてその人材の過去の行動の発揮が将来に再現されるかどうかを確認する方法が注目されるようになりました。
これは、ある職務において必要な能力をいくつか特定し、その必要な能力をどのように発揮していたかを過去の本人の行動の事実を掘り下げることによって確認する手法であり、その方法論自体を複数の採用担当者が同じように(「構造化」して)実施することで面接官のもつバイアスを排除しようという意図で設計されたものです。古くから「行動探索インタビュー」として知られる手法の発展形とも言えるものですが、過去の行動データが将来の職務パフォーマンスを予測するという方法は、間接的なデータから機械で予測することよりも、現時点では予測精度の高い手法と考えられます。
あるいは、個人のパーソナリティに関するデータを予測に用いるようなアプローチも研究がされてきています。
例えば、経営者の外から見える言動を分析して「ビッグファイブ」というパーソナリティ理論における5つの因子に関する特徴を抽出し、株価のボラティリティや平均的な上昇率とを比較するという研究もなされています。
こうした研究からどのような知見が得られるかについては、今後も注視が必要ですが、タレントという見えないものをどう見るか、という観点から、今後も様々なデータに基づく予測へのチャレンジが進展していくでしょう。
多様性への関心の高まりについては、もはや論を俟たないテーマと言えるでしょう。多様性というとどうしてもジェンダーや国際性などの属性の多様性に焦点が当たりがちであり、それ自体は重要なテーマであることは間違いないでしょう。そもそもフェアで偏りのないマネジメントが行われていることは、昨今のESGを重視する流れの中で、企業にとって最低限求められる要素となってきた印象があります。
しかし、それ以上に、多様なバックグラウンドを持つ人材が議論をすることで意思決定の質が高まったり、従来は採択されなかったような発想がもたらされたりするという、(属性ではなく)実質的な多様性がもたらすポジティブな側面を見ていくことが、先進的な企業で取り組まれるようになってきました。例えば従来とは異なる母集団に採用の候補を広げることでより有為な人材を探索する、リーダー候補のプールの専門性や能力などの多様性を広げることで将来の様々な環境変化に対応しうる候補者のバリエーションを増やすなどの工夫が取られるようになります。ハイパフォーマーモデルをつくって同じような人材を量産するような方法論から、全く異なるタイプの人材を獲得・育成することで不確実性に対応するという、VUCA時代に適した対応方法が模索されています。
最後に、タレントマネジメントの重要なパートであるリーダーシップ論は、どのような発展をしてきたのでしょうか。
20世紀半ば頃からのリーダーの個性の古典的な研究から行動の発揮への着目、そして状況対応的なリーダーの必要性へと発展したリーダーシップ論は、20世紀後半から、ビジョンを示して変革を推進する「トランスフォメーショナルリーダーシップ」が支配的な概念となりました。その理論は、特に不確実性の高い環境と企業の「目的(Purpose)」を重視する社会的背景によって、ますます重要となっていくことが予想されます。
他方で、階層構造に基づく垂直的なリーダーシップよりも、水平的な関係性の中で時に全員がリーダーとなるという「シェアード・リーダーシップ」という考え方や、特定のモデルに限定することなく、その人のありのままの多様な個性を活かす重要性を説いた「オーセンティック・リーダーシップ」などの新しい理論が注目されるようになりました。
例えば、職制上のリーダーの数を絞りながら、むしろ高い専門性とプロジェクト・チームマネジメントを担う人材に現場を任せながら柔軟で機動的な人員配置を実施したり、一定のリーダーシップモデルをもちながらもその個人の尖った強みを重視してリーダーを選ぶなどの取り組みが、そうした理論との親和性が高いものと考えられます。
現時点では必ずしも支配的な理論としてあまねく浸透しているとはいえませんが、ビジョンを持って周囲を動かしていくというトランスフォメーショナルリーダーシップの考え方に、その時に適した人材を柔軟に配置するという不確実性・変化への対応の発想や、正しい自己認識を持って自分ならではの強みを活かすという多様性のエッセンスが加わり、競争環境の変化や時代の要請に即したリーダー論が求められるようになってきた、と筆者は捉えています。各理論の詳細についてはそれぞれの専門的な文献に譲りますが、単純なモデル・型に当てはめるアプローチではなく、柔軟で個の多様性に着目した、新しい時代のリーダーシップ論がますます模索されていくと考えられます。
今回は、今後のタレントマネジメントを考えるうえで前提となるであろう、2010年代に起きた大きな変化について整理しました。これらは、いずれも短期的な流行というよりは、企業が長期的に対応すべき根本的な潮流と呼べるものと筆者は捉えています。
次回は、投資家の視点から重要視されつつある「ヒューマンキャピタルマネジメント」について、主にタレントマネジメントに関わる論点を中心に概観します。
人材争奪 ~世界基準のタレントを確保する~(日本経済新聞出版社)
執筆:平本 宏幸
入社以来、人・組織に関する課題解決を通じた変革支援のコンサルティングに一貫して従事している。人・組織に関するソフトな課題を主として扱う部門を統括。近年は特に、経営者の後継者計画、指名委員会運用支援、リーダー開発・エグゼクティブアセスメント、タレントマネジメントの戦略構築・実行支援において豊富なコンサルティング経験を有する。