役員賠償、雇用慣行賠償、犯罪被害補償、専門職業賠償 保険会社により保険料に大きな差も
日本では経営リスク保険と呼ばれる、フィナンシャルラインというカテゴリーに分類される保険種目について解説します。フィナンシャルラインの保険商品は比較的歴史の浅い保険が多く、特に日本では保険会社があまり積極的に販売してこなかった歴史的な背景もあって、会社役員賠償責任保険(D&O)以外は多くの日本企業にとってまだなじみのない保険かもしれません。
ここでは、以下の4つの保険商品について概要解説をします。
サイバー保険もフィナンシャルラインの保険商品ですが、別の章で触れたいと思います。
フィナンシャルラインという総称は、伝統的な賠償責任保険とは別のカテゴリーとして、フィナンシャルロス(経済的損失)のみを補償する保険として開発されたことに由来します。
商品の特性としては、一つひとつの事業や資産ではなく、経営全般に関わるリスクをカバーする商品が多いことが、上記ラインナップを見てもご理解いただけると思います。
比較的歴史の浅い保険商品なので、十分な過去の事故実績データがなく、保険の原理原則である大数の法則が働きにくいため、各保険会社により保険料が大きく異なることがあります。保険会社が個別の企業の個別のリスク実態を見て、自社の引受基準や保険料算出モデルを使ってアンダーライティング(引受判断)をしているからです。
他のラインの保険商品以上に、複数の保険会社から見積もりを取ることが重要な保険商品です。
D&O保険は多くの方にとって比較的なじみのある保険だと思います。フィナンシャルラインのなかでは古参の商品といえるでしょう。
D&O保険は、会社役員の業務遂行に起因して発生した賠償責任を補償するものです。会社役員の義務は会社法に規定されており、これに反する行為を行ったことにより役員個人は損害賠償を受けることになります。
善管注意義務を怠ったために会社に損害を与えた場合には、会社あるいは株主から訴えられます。また、リストラを行った際に不当解雇だとして元従業員から訴えられることもあります。D&O保険は会社ではなく、役員個人を守る保険なのです。
日本国内でも、D&O保険は随分と一般的になってきましたが、海外子会社の役員がきちんと補償されている保険内容になっているかどうか、検証が必要です。例えば、海外の現地法人社長として送り込まれた日本では部長待遇の社員が、現地でハラスメントの責任を追及された場合、自社で契約しているD&O保険で補償されるか、確認すべきです。
他国のグローバル企業との競争に勝ち抜いていくためには、積極的にリスクを取って経営をしていく必要がありますが、日本の経営層はどちらかというと保守的です。経済産業省は、これを改善していくための一つの方策としてD&O保険を欧米企業並みの補償に拡充して、経営層がリスクを取れる環境作りを後押ししています。
一般的に日本の企業が加入しているD&O保険、すなわち日本の保険会社が提供しているD&O保険の内容が海外の保険会社のD&O保険に比較して劣後している点を憂慮してのことです。
経済産業省からは、以下の7つがD&O保険の実務的検討ポイントとして挙げられています。
経済産業省のホームページのリンクを添付しますので、自社のD&O保険が上記7つの検討ポイントを満たしているかをぜひ確認しましょう。
https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/keizaih
ousei/pdf/150724_corp_gov_sys_3.pdf
また、保険契約内容の検証は契約している保険会社に問い合わせるのではなく、中立的なウイリス・タワーズワトソンのような保険の専門家に相談することをお勧めします。十分なD&O保険に加入することによって経営層が積極的にリスクを取ることが、企業の成長につながっていくのです。
EPLは、雇用に関わる損害賠償責任を補償する保険です。
昨今のテレワークの増加や働き方改革により、従業員の意識も変化してきており、ひとたびボタンを掛け違えると、会社や上司は従業員から訴えられてブラック企業のレッテルを張られてしまいます。そうならないためには、トラブルが起きないような環境整備が最重要であることは言うまでもありませんが、トラブルが起きたときには弁護士や専門家に相談し、万全の対応をすべきです。このような弁護士費用などもEPLでは補償されます。
D&Oでも役員や管理職従業員の雇用関連賠償責任を補償しますが、あくまでも補償対象は個人です。EPLでは会社の責任に加え、役員や従業員の個人責任もカバーできるようになっています。
D&OにEPLの会社責任も補償される特約を付帯している契約を見受けますが、D&Oは本来役員個人を補償するためのものであり、EPLの会社補償で限度額を費消してしまうことを考えると、D&OとEPLは別途契約することをお勧めします。
パワハラ問題が発生すると、加害者本人だけでなく、上司、人事部、役員、会社、と責任が連鎖していく可能性があります。
日本の保険会社によるEPLでは、加害者の責任を補償対象外とする契約が見受けられます。これは、犯罪など反社会的な行為を助長するような保険は許されない、という伝統的なルールを重視する立場から、保険で補償されるとパワハラを助長してしまう、という危惧が理由と思われます。
他方、グローバルな感覚では、本人の賠償責任のカバーはむしろ必須です。会社が管理職に従業員の管理監督を任せているということは、ハラスメントの責任を負うリスクを管理職個人に負わせているということです。会社が管理職を守らなければ、危険な管理職の仕事を引き受ける人がいなくなる、ということでしょう。従業員の権利意識の強さの裏返しの問題です。
日本ではまだ、ハラスメントの加害者個人の責任が高額になる事例は少ないようですので、あまり重大な違いではありませんが、特に、海外の子会社をカバーする保険の場合には、この違いは重大な問題になる場合があります。子会社のある国や、その従業員の意識によっては、管理職個人の責任をカバーするかどうかが重要な問題(現地の管理職のモチベーションに関わる問題)になり得ますので、必要性も含め、慎重に検討してください。
EPLはけがや死亡に対する賠償責任は対象外となりますので、注意が必要です。このリスクは使用者賠償(EL)で補償されます。
従業員が、うつ病が原因となって自殺し、会社が損害賠償責任を負うことになった場合、死亡による損害についてはEPLでカバーされません。しかし従業員が、会社を退職した後、不当解雇並びに精神的苦痛を理由として会社を提訴して、会社が損害賠償責任を負うことになった場合、EPLでカバーされます。
企業犯罪被害補償保険(以下、「クライム保険」と言います)は、英語でCommercial Crime Insuranceと表記されます。従業員や第三者による犯罪被害による企業の損失をカバーするものです。
日本企業では身元信用保険に加入している企業はあっても、クライム保険への加入はまだ少数派と言えます。身元信用保険は従業員の内部犯行だけをカバーしますが、クライム保険は従業員の犯罪も第三者による犯罪もカバーしますし、従業員と外部の第三者の共犯も補償されます。巨額損失の多くは、従業員と外部の共犯のケースです。
そもそも身元信用保険はその名の通り、従業員の身元を保証する保証人の代用としての保険です。そのため一般的に補償限度額もあまり大きなものではありません。一方、クライム保険は企業の損失を補償するのに十分な高額の補償限度額を提供しています。保険の目的が全く異なるということを理解してください。
補償される損害は、企業が被った犯罪被害の実額が支払い対象です。同一の犯罪者が長期にわたり行ってきた一連の犯罪行為による被害も、発見された時点で有効な保険契約があれば過去にさかのぼって補償されます。ただし、保険証券上に規定された遡及日以降の犯罪行為に限られます。PL保険のClams Made Baseに近い考え方です。
子会社も補償の対象とすることができます。補償期間中に新たに子会社に含まれるようになった会社についても、収益や従業員数が25%以下かつ過去3年間に犯罪被害がないことなど、一定の条件が満たされれば、自動的に補償対象となります。さらに、企業年金基金も特約を締結すれば、補償対象に含めることができます。
海外子会社の従業員による犯罪行為で大きな損失を被った企業のニュースはときどき報道されますが、これらは氷山の一角で、ほとんどのケースは公にはなりません。関係者だけで処理されているものの企業が損失を被り、ほとんど回収できないということが現実です。
欧米企業では当たり前に加入しているクライム保険も、日本のグローバル企業が加入の検討をすべき保険の一つです。
専門職業賠償責任保険(以下、「PI」と言います)は、英語でProfessional Indemnity あるいはErrors & Omissions (E&O) と表記されます。
もともとは専門職それぞれの専門業務に基づく損害賠償責任を補償する保険です。例えば、税理士向けの保険であったり、弁護士向けの保険であったりします。これら専門事業者が、その業務過誤によって、第三者に対して経済的な損害を与えた場合の賠償責任をカバーするのです。税理士が税務申告を間違えてしまい、重加算税を課せられた企業から賠償請求されるようなケースが補償されます。
こういった専門業務による賠償責任は人を傷つけたり物を壊したりするわけではないので、純粋な経済的損失のみを補償しています。一般的な企業においても、このような純粋経済損のみの賠償責任は発生し得るので、これらを補償できるようにPIは発展してきたものです。
海外での建設プロジェクトでは、プロジェクト発注者が、設計業務や施工監理業務を提供する事業者(ここでは建築設計事務所やエンジニアリング会社など)に対して建設設計・施工監理業向けPIへの加入を求め、その付保証明書の提出を契約の必要条件として定めている場合があります。
部品メーカーが規格外の部品を納入してしまい、完成品メーカーの製造ラインを止めてしまったことによる逸失利益を賠償請求された場合にもPIで補償されます。産業用機械メーカーが販売した機械が規定通りの性能を発揮せず、購入した工場が想定していた数量の製品を生産できなかった場合の損害賠償もPIの補償対象です。
どちらの場合も、モノが壊れたり人がけがをしたりしていないので、PL保険の対象とはなりません。PIは、PLで補償されない賠償を補償できる重要な保険です。
*本稿は『リスク対策.com』の連載・コラムへの寄稿2020/8/26 「グローバルスタンダードな企業保険活用入門-第8回 経営リスクに関する各種保険」からの抜粋です。
Chubb損害保険株式会社 執行役員企業営業本部長、チューリッヒ保険会社 企業保険事業本部長を経て、2019年にWTWに入社し、現職を務める。
損害保険業界で40年の経験を持ち、著書に「国際企業保険入門(中央経済社)」がある。「2021年10月 東洋経済 生損保特集号」への寄稿など、各種メディアによる取材記事も多数。