「ジョブ型」を提唱した経団連、或いは濱口桂一郎氏はメンバーシップ型とジョブ型の対立軸を打ち出したが、これは「雇用システム」を中心軸を置いた議論であった。しかし、この分かりやすい対立軸を職務給やPay for Performanceと統合してジョブ型人事制度に発展させていこうという試みが増えている。これに対し、様々なクライアント企業で「ジョブ型」という言葉は遣わずに様々なクライアント企業で成長や変革の実現のための取り組みをしてきたコンサルティングの立場から、少しばかりコメントを付けておくべきかと感じている。キャンペーン的に旧来の「メンバーシップ型」をスケープゴートにすることも、「ジョブ型」を希望の星として過度に崇めるのも同程度に間違っている。
この文脈においてメンバーシップは内輪の特権や、仲間を大事にするという意味で使われている。しかし、その対価として一企業の中の規範に縛られた閉鎖性なキャリアが求められる。その閉鎖的なシステムは、日本的経営の三種の神器である①終身雇用、②年功序列、③企業別労働組合と、それを支える六つのサブシステムである④新卒一括採用、⑤純血主義、⑥ジェネラリスト志向ローテーション、⑦職能資格制度、⑧遅い選抜、⑨労使協調、による強固な相互依存システムを持つことが多かった。
「メンバーシップ型」に対する過度な貶めにならないよう、このシステムの特徴について軽く触れておきたい。まず第一に、「メンバーシップ型」は、狙ったものではないが結果的に企業内における「社会主義」イデオロギーとして機能していると考えると分かりやすい。そこでは内輪での公平な配分を重視し、過度な競争や落伍を良しとしない。昔の言い方ならば「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」形の閉鎖的な統制経済圏として機能する。しかし、計画統制が可能な世界と、それができない予定不調和の世界の比率が徐々に変わる中で、機能不全に陥ったのが変化の俯瞰である。しかし、逆に言うと引き続き安定した環境下におかれている業界、かつコントロール可能な組織・市場のサイズの企業においては引き続き有効な考え方である可能性が高い。
第二に、メンバーシップ型というのは成果主義やメリトクラシ-とは必ずしも相反する概念ではないことも確認しておきたい。メンバーシップ型と言われる会社においても、賞与のメリハリや、若手も含む優秀な人材に重要な仕事を任せる(能力に応じて働き)ことはかなりの程度行われている。ただ、大きく欠けているのが等級昇格や基本月例給の引き上げで、これが漸次蓄積型の処遇(労働に応じて受け取る)に結びついている。その結果が後払い型やホステージ理論と呼ばれる生涯賃金カーブで、30代、40代を中心にジョブとペイのギャップが生じやすくなる。「年を取ってから帳尻を合わせるから今は我慢して働け」という暗黙のツケ払い組織と、「今払うから今頑張れ」という現金即時払い組織、どちらが成長と貢献を引き出せるかが争点になっているのである。しかし一方で、今後とも蓄積型認知と支払いの時間軸をずらすことで生涯働き続けることを期待する仕事、例えば生産の現業職等には依然として有用であり続ける可能性は残っている。
第三に、閉鎖的な世界における長期にわたる探索的なキャリア形成である。メンバーシップ的な企業組織では、閉塞感の打破と職務適性の確認のため、定期的な異動を行う。その際、傍目から見れば賭けとも言えるような大幅な社内転職も行われる。結果として、企業内では使える人材は生み出せるものの、世界のマーケットで戦える突出した人材は多く生み出せなかった。繰り返される意図不明のジョブローテーションで個人の専門性が伸ばせない、逃げ場の存在がプロフェッショナルとしてのコミットメントを中途半端にする等の弊害があった。加えて、組織レベルでみても、知識やスキル、更には育成・学習方法のノウハウが蓄積・高度化されにくくなった。ただ一方で、不人気、不採算部門への労働力の安定供給やすり合わせ型人材の供給等のメリットはあった。
ここまで「メンバーシップ型」の主な特徴について「企業内社会主義」、「漸次蓄積型処遇」、「探索的キャリア形成」の3点を述べてきた。では仮に「メンバーシップ型」に対立軸を打ち出すのならば「企業内資本主義」、「随時時価反映処遇」、「プロフェッショナルキャリア形成」となり、必ずしも「ジョブ型」そのものではない。ゆえにメンバーシップ型とジョブ型は対立軸と捉える必要性はない。
加えて「メンバーシップ型」の反省、総括はきちんと行っておくべきである。確かに従業員は大事にされ、低失業率と中間所得層の厚みをつくることができたが、その反面、人材が個々の企業に固着して、能力・知識の競争と流動化が誘発する変化ダイナミズムを大きく失った。その帰結にあったのが日本経済の根源課題である生産性と賃金の伸び悩みである。もちろん「メンバーシップ型」だけのせいではないが、主たる原因の一つとは言えよう。むしろ目的とすべきは、ジョブ型への移行ではなく生産性の向上と、賃金の向上であり、それを目的に据えた上で、何が課題となるのかを考える方が筋の良い取り組みとなる。
人件費あたり生産性と賃金水準をトレードオフにしないためには、高い成長性や収益性が欠かせない。ゆえに生産性、賃金、売上成長、収益というこの四角関係のスパイラルアップを生むことを目指すべきであり、「メンバーシップ型」から「ジョブ型」への転換はどこまで行っても目的そのものにはなり得ない。そういう意味でメンバーシップ型やジョブ型に対する説明や批判の言説において、この視点の欠如が如実であることを現場コンサルタントとしては懸念している。
それでは、この生産性、賃金、売上成長、収益という四角関係を目的関数に据えたマネジメントをどのように形成していくのか、その際にどのようにジョブが関わってくるのかについて話を進めたい。
「ジョブ型」というと、職種別採用と縦割りの育成、職務記述書(JD)と責任と役割の明確化、職務評価に基づくジョブグレード、ジョブポスティングによる自律的なキャリア形成、報酬サーベイに基づく市場ベースの職務給等のプログラム等の制度面での変更が前面に出ることが多い。しかし、より深く「ジョブ型」のマネジメントを理解していくためのキーワードは3つある。「期待値」、「許容度」、そして「外向き」である。
一つ一つ細かくは説明しないが、まずは「期待値」から。ゴールのあり方とその道筋を示さないのは雰囲気でマネジメントをしているだけである。期待値を示し、引き上げていかなければ生産性も成長も収益も意図的に伸ばせないし、もちろん賃金を引き上げる原資の裏付けも得られない。そして、期待値を描いたものがVisionであり、事業目標であり、JDであり、個人目標であり、コンピテンシーモデルである。これらの重層的な取り組みの中で会社と個人との期待値の握りを強くしていくこと、引き上げていくこと、その達成を支援していくことこそがマネジメントの要諦である。この個人への期待値を明確にしてく延長線上に「ジョブ」を基軸にしよう、あるいはせざるを得ないという考えが出てくるのである。
次に「許容度」である。上からの期待値は下にとってのAccountabilityとなる。このAccountabilityは達成を目指すのは当然だが、未達時の取り扱いにこそマネジメントの質が問われる。仲間内として有耶無耶に許すのは心地悪さを回避できるが進歩は得られない。失敗したのはどのような学びが足りていなかったのか、どうすれば学びをつくっていけるのかを考え、上手く伝えて部下を伸ばしていくのが上司の仕事である。部下のポテンシャルと仕事のポテンシャルを最大限に発揮させるには、安易に仕事の期待水準を下げないことが重要で、何度フィードバックしても上手く行かないようだったら担当を変えることも必要である。合理的な範囲内での許容は行うが、低生産性が温存されるようであれば限界ラインは置くべきである。ハーバード・ビジネス・スクール、ピサノ教授の箴言である『失敗を許容するには能力不足を受け入れてはならない』こそ日本企業が受け止めるべきメッセージである。そして厳しい対応になるほどにジョブと人を切り分けないと人格攻撃として受け止められるため、人格とジョブ格を分けた交代の考え方がどうしても必要となってくる。
最後に「外向き」であることである。外向きになるほどに、他社ベストプラクティスを学び超えていく生産性向上の取り組み、株主の期待に応える成長と収益、そして競合に引き抜かれないための報酬水準が当然求められる。日本ではそれほど意識されていないが、海外のHRにとってMarket Competitivenessはお作法レベルの大事である。特にハイパフォーマー、ハイポテンシャル、ホットスキル、クリティカルスキルといった事業競争力に直結したり、市場再調達が困難な特定セグメントの人材を失うロスは莫大で、たかが数百万円の差で競合に引き抜かれることは避けないといけない。ゆえに人材を軸とした事業競争力の維持・向上にためにはジョブを基準としたマーケット比較は必須となってくる。
ここまで書くと異次元の話、自分とは遠い世界だと思われる方もいるかもしれない。しかしながら、欧米などの外資系での勤続経験がある方からすると、これらは至って普通のことである。しゃちほこばって「ジョブ型」だと構える必要もないし、怖いものでもない。思ったほどドライなものでもないし、杓子定規に決まったものでもない。単なる慣れの問題くらいに捉える方がうまくいくとも思っている。
むしろ、求められているのは「今いる人」を「安い給与」で「安定して」働かせる範囲内で物事を考えることからの脱却である。ビジョンや構想力、そして力強い牽引力とともにこれを進めていくことが期待される。