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中長期的視点から、能力・働き方を踏まえ、役職定年者に最適な処遇を設計する

執筆者 松尾 梓司 | 2021年11月9日

前編では、主に企業の目線から役職定年制について考えてきたが、当事者である従業員が役職定年制をどのように捉えるかという視点も同様に大切である。役職定年制は、一定年齢に達すると慣れ親しんだポストから解かれ報酬も減少するなど、従業員にとって明白なデメリットを伴う制度であり、どのような受け止め方をされる可能性があるか、入念に考えておく必要がある。
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“従業員体験(EX)”の視点から考える役職定年制

当事者である従業員の受け止め方を検討するに当たっては、従業員体験(Employee Experience。以下、EX)の考え方を活用していくことが考えられる。最近耳にする機会が増えた「EX」という言葉だが、これは従業員が社内で経験するあらゆる要素(戦略、方針、施策、業務、検討プロセス、労働環境、人間関係など)を示す概念であり、従業員に最適なEXを提供することで、従業員のエンゲージメント(会社の成長に対する自発的な貢献意欲)を高め、業績向上を実現することを狙いとしている。当社ではEXを以下の四つの項目で整理しており、それぞれの分野で具体的にどのようなEXを従業員に提供することが有効かを検討する際のフレームワークとして用いている[図表1]。

1. Purpose/目的(会社・事業の存在意義)

会社の戦略や目指している方向性に納得しているか? それらは自身の考えや希望と一致しているか?

2. Work/仕事(仕事のやりがい)

自身の仕事にやりがいを感じているか? 求められている役割・責任に応えることができるか?

3. Total Reward/トータルリワード(金銭的・非金銭的な報酬)

報酬がやる気を引き出しているか? 評価される仕組みを理解しているか? 自身のキャリアを展望できるか?

4. People/ヒト(リーダーの在り方や企業風土)

リーダーは部下をサポートし鼓舞しているか? 多様性を受け入れているか? 互いに刺激し合うような素晴らしい上司や同僚と仕事をしているか?

このフレームワークを役職定年制に当てはめ、従業員が持つ役職定年制についての認識や導入時に想定される反応を考察していく。まずは、直近に役職定年を迎える従業員にフォーカスしてみる。

  1. Purpose/目的(会社・事業の存在意識)

    会社や事業の方向性に対する認識は、役職定年を迎えることによって大きく変化するものではない。ただし、会社や事業推進における自身の役割と影響度が、役職から外れることで相対的に小さくなる、少なくともそう感じてしまうことは避けられないだろう。また、第一線で活躍していた自身が身を引き、新しい立場を持つことについて、そのことを周囲がどのように受け止めるか、役職定年者としての新たな役回りを受容し、尊重してくれるかというのも気になる点であると考え る。自身は新しい環境で会社・組織へ引き続き貢献する意欲を持っていても、周囲が「半分引退した身」などと捉えてしまうと、おのずと活躍の機会は狭まっていく。こうした環境に陥ってしまうと、自身の組織への貢献度の低下をネガティブに捉え、その不満が会社の方針への不信とつながっていく。残念ながらこのようなケースは、役職定年制を導入している企業で少なからず見られる光景である。

    役職定年後も会社に対する前向きな貢献意欲をどのように持たせるか、どのようにプライドを維持・向上させていくか、そのような観点からの制度設計が望まれる。

  2. Work/仕事(仕事のやりがい)

    役職者としての立場での業務遂行にやりがいを感じていた従業員は、一定年齢に達すると役職定年制により任を解かれ、やりがいのある仕事から離れなくてはならなくなるため、心情がネガティブな方向に振れることは間違いない。他方、例えば技術系の仕事の従事者に多く見られるのが、役職定年制により必ずしも好きでなかった役職者という立場を離れて“一業務担当者に戻ることができる”と前向きに受け止める傾向である。この辺りは、個々人のマネジメント業務に対する認識の差が役職定年制への受け止め方の違いとして大きく表れるところといえる。

    いずれにせよ、役職定年後に付与される業務・役割を役職定年者が前向きに受け止めることが、EX上重要である。これまでの経験を活かしてベテランならではのやりがいのある仕事に就き、そこに新たな魅力や面白さを感じることができれば、役職から外れたというネガティブな感情は払 拭できるだろう。一方、そのような魅力的な業務が与えられない、あるいは当該業務に対して自身が前向きに取り組めない─といった場合には、EXは極めてネガティブなものとなってしまう。

    また、役職定年の前と後で、実際の業務に大きな変化がないというケースも現実では少なくない。役職から離れても実質的に役職者としての業務を継続する─というのは後任者の不在や力量不足といった場合に起きがちな状況で、これは本人にとって良いことのようにも見えるが、報酬とのアンバランスが発生するなど、必ずしも適切な運用とは言い難い。

    役職定年者がこれまでに培った知見やスキルを発揮することで会社や組織の業績向上につながる新たな業務に就くこと、つまり会社・組織のニーズと役職定年者の能力を上手にマッチングすることが重要であり、会社としてこのようなWorkを提供できるよう、適切な業務設計を行うことが求められる。

  3. Total Reward/トータルリワード(金銭的・非金銭的な報酬)

    役職定年制が従業員に及ぼす変化の中で最も目立つのは金銭的報酬(給与・賞与等)の削減だろう。一口に報酬削減と言っても、減額の根拠や大きさといった制度設計により、従業員の認識、すなわち、EXは大きく異なってくる。仮に「職能給+職務手当」という給与構成の企業で、役職から外れることにより職務手当は支給対象外となるが職能給は維持され、かつ給与に占める職能給の割合が相対的に高ければ、報酬減についての理屈が成り立ち、また、報酬減のインパクトも大きくないため、役職定年者はこの報酬減を受け入れやすいだろう。一方、「職能給のみ」の給与構成で、制度上は能力ベースでの給与決定となっているような企業で、役職定年制により職能給を引き下げるというのは、理屈を成り立たせることが難しい(前述のとおり、職能資格制度において「一定年齢を超えると職務遂行能力が下がる」ということは、基本的には考えにくいため)。

    また、トータルリワードでは、非金銭的報酬にも目を向ける。例えば“課長”や“部長”といっ た呼称も非金銭的な報酬の一つと捉える。仮に従業員間で“○○課長”や“○○部長”などの役職 呼称で呼び合う企業文化がある場合、役職定年により任を解かれた役職者の呼ばれ方も変わることになる。これは、役職者であることにプライドややりがいを感じていた従業員にとっては小さくない変化といえよう。トータルリワードの観点からは、報酬が目減りしたということになる。

    さらに、キャリア開発や人材育成もトータルリワードの一つとなる。役職定年に伴う降職(ポストから降りること)は基本的に不可逆的であり、ここで能力等が認められ役職者に返り咲くことは現実的でない。役職者は、社内での競争を経て管理職ポストに就くという経験を積んできており、キャリアとは上昇するものという認識を強く持っていると推察されるが、役職定年により彼ら・彼女らは、挽回のきかない「降職」という個人のキャリア上初めての経験をすることとなる。ある種のキャリアの到達点に達した役職定年者に対して、どのように動機付け、また将来に目を向けさせ、さらなる自己成長に取り組んでもらうか、悩ましい課題である。

    このように、トータルリワードとはさまざまな報酬の包括的概念であり、仮に金銭的報酬がこれまでより目減りしたとしても、他の非金銭的報酬を含めてトータルで従業員本人が納得できるよう、
    (広義の)報酬全体のバランスを取ることが肝要である。役職定年者の給与について何を根拠にどの程度引き下げるか、そして、その引き下げとバランスを取るために提供できる報酬は何か。これらを考えることで、役職定年制における“あるべきトータルリワード”の形を描くことができる。

  4. People/ヒト(リーダーの在り方や企業風土)

    役職定年者として働く上で、周囲からの必要な 支援が受けられるか、周囲と良い関係性を構築・維持しながら働くことができるかは、本人にとって重大な関心事だろう。どれだけ長い経験を積んでいようとも、役職定年後に業務や役割が変われば、そこで必要な知識・スキルを新たに獲得する必要が生まれる。しかし、ベテランだから自分で何とかできると周囲が考えた結果、必要なサポートが提供されない、あるいは役職定年者自身もプライドなどの理由で周囲に頼れないといったことが起き、新たな環境に慣れるのに必要以上の時間を要してしまう(あるいは、なじめないままで終わってしまう)というのは、よく見られる現象である。
    新たな環境への慣れという意味で最も困難なものの一つは、上司・部下の逆転現象である。役職定年後も同一の部門で勤続すると、当時部下だった年下の従業員が自身の上司となることがあり得る。これを前向きに受け入れ、年下上司と良好な関係をつくり、年長者としてサポートできればよいのだが、残念ながら上手に順応できず苦労している元上司は少なくない。

    また、役職定年制は同僚間でのキャリアの差を明白に示す側面があることにも留意が必要だ。例えば、部長が58歳、課長が55歳で役職定年となる企業における55歳になった同期同士で、片や役職定年を迎える課長と、役職にとどまり続け、その先の役員の可能性も垣間見ることができる部長との間で、キャリア上の埋め難いギャップが顕在化する。それ以前も昇格の早い/遅いはあっただろうが、役職定年はほぼ不可逆の降職であり、役職定年者は先を行く同期に追い付くことはできない。仮にこのような状況に直面しても、同期としての良好な関係性を維持することが、良好なEXの実 現のために不可欠である。
    このように「People/ヒト」に関するEXを考えると、役職定年者のプライドに対する十分な配慮と、新たな環境を早期に前向きに受け入れてもらうための支援の提供が極めて重要といえる。

    ここまで示したように、役職定年者のEXについては留意すべき点が多くあり、それに合わせた役職定年制の設計や企業文化の構築が求められ る。一方で、役職定年制は役職定年までの期間が長い若手・中堅従業員のEXにも影響を与えることに注意が必要だ。例えば「Total Reward/トータルリワード」の面で、役職定年制によりポストの流動化が促進されることで、「自身の昇進機会が十分にある」というポジティブな意識を若手・中堅従業員は持つことができるだろう(ただし、「高年齢になると自身も役職定年により給与が下がる可能性が高い」というマインドも同時に抱くことにはなるが)。また「Work/仕事」の観点から、役職定年者が適性の高い新たな役割の中で活躍する姿を見ることができれば、「何歳になっても活躍できる環境が当社にはある」との認識を持ち、エンゲージメントが高まることが期待できる。

役職定年制が本当に必要か?/ 廃止する理由とは?

ここまで、EXのフレームワークを用い、さまざまな観点から役職定年制の導入により起き得る課題について考えてきた。役職定年制というと、どうしても報酬の引き下げといった側面に着目が集まりがちだが、それにとどまらず、さまざまな課題や留意点があることを認識いただけたかと思う。役職定年制を検討中の企業では、ぜひEXの観点 から自社において役職定年制が必要か、導入したとして適切に機能するかということを丁寧に考えた上で、導入是非の判断を下していただきたい。実際、「Work/仕事」や「People/ヒト」といった面での問題が頻発し、その影響が人件費削減効果を差し引いても余りあるとして、導入済みの役職定年制を廃止した企業も多く存在する。役職定年制を廃止している企業では、以下のいずれか、もしくは複数をその理由としているところが多い。

  • 高年齢層の従業員が相対的に少なく、当該従業員の人件費を削減する必要性が小さい。もしくはそのような組織構造を実現するためのリストラを実施した
  • 年功的な昇給が伴う職能資格制度を廃止し職務等級制度(ジョブ型)へ移行したため、年齢を要素とした人件費削減をする必要がない。また、制度改定前の高年齢層の高額な人件費の調整も実施済みである
  • ベテランの技術力や経験が会社の競争力に直結しており、リテンションやモチベーションの観点から厚く遇する必要がある

一方で、現状で上記のような状態になく、かつ従業員の高年齢化や高年齢者雇用安定法への対応を鑑み、これから役職定年制を導入する必要がある、または廃止はしないが見直しは必要という企業もあるだろう。
次回の後編では、EXの視点から検討した役職定年制のさまざまな課題を踏まえ、人件費コントロールやポスト不足解消といった問題の解決に資する人事制度・人事施策の在り方について考える。


*本稿は「労政時報」第4018号(21.7.23)[労務行政刊]への寄稿『実務解説 役職定年制導入・改廃の実務』からの抜粋です。

執筆者


ディレクター
Employee Experience(EX)

日系コンサルティングファーム・外資系PRエージェンシー等を経てWTW入社。従業員コミュニケーションやチェンジマネジメント、各種人事施策の企画に関するコンサルティングに従事。主な著書『M&Aシナジーを実現するPMI−事業統合を成功へ導く人材マネジメントの実践』(共著、東洋経済新報社)。京都大学法学部卒業。


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