昨春、上下水道会社が潜在的に抱えていたサイバーリスクによって、信用格付けを引き下げられた話題について本稿で取り上げた。*1 従来までもサイバーリスクによって信用格付けを引き下げられる事例は存在したが、それらは実際に発生したインシデントにより引き下げられていた。
ところが、この上下水道会社でインシデントは発生しておらず、更にこれまでは公益事業社に対して比較的肯定的な評価が与えられてきた中で起こったことであり、金融業界に限らずIT業界など多方面に大きな衝撃を与える出来事となった。信用格付け会社によるプレスリリースにもあるように、サイバーセキュリティ企業が用いるようなツールによって対象となる企業を分析しているのだ。*2 持続可能な成長などを要求するESG経営などのキーワードが重要視されている昨今、潜在的に抱えるサイバーリスクが、成長どころか持続可能性さえも阻害する要因となりかねない。
このような背景からも機関投資家らはサイバーリスクの評価・分析も含めたデューデリジェンスに一層力を入れており、信用格付けの評価においても考慮されるようになってきている。
米バイデン政権は、上下水道会社のような重要インフラのサイバーセキュリティ強化に取り組んでいる。2022年1月には、ホワイトハウスと環境保護庁(EPA)との共同で、水道事業者に向けた100日間の「行動計画」を発表した。*3 この行動計画では、水道事業者が用いるICS(産業用制御システム)に対するサイバー脅威を、早期に検出できる仕組みを導入することが目的とされている。
なぜ、バイデン政権は重要インフラのサイバーセキュリティ強化に取り組んでいるのか?
昨年、米国ではパイプラインがランサムウェア攻撃による被害に遭ったことで、一部の州ではガソリンが不足するなどの甚大な影響が生じた。*4 また、食肉加工業者がランサムウェア攻撃による被害に遭ったことで、全米の20%の供給量をほこる事業者が停止し生活への直接的な影響も生じている。
また、フロリダ州で発生した水処理プラントへのサイバー攻撃では、施設を管理するシステムに不正侵入され、排水管洗浄に用いる水酸化ナトリウムの量を危険なレベルに調整しようと遠隔操作された。
この際には、画面上に表示されていたマウスのポインターが突如として動き出したため施設のオペレータが気付いたが、もし気付かれないような手法だったとしたら大惨事は免れなかっただろう。
これらのサイバー攻撃による被害を受けて、重要インフラ事業者が運用に使用するシステムのサイバーセキュリティを強化するために取り組んでおり、水道事業者だけでなく既に電力事業者や天然ガスパイプライン事業者に向けた計画も発表している。
このように重要インフラのサイバーセキュリティ強化に取り組んでいるバイデン政権であるが、サービスの大部分が政府ではなく民間企業によって供給されていることから課題もある。
米国では水道関連の事業者が大小さまざまでおよそ50,000社あり、およそ15万のシステムが稼働することによって3億人へのサービスを提供しているとされている。これらのシステムでは水の処理・保管・流通などの管理が自動化されており、サイバー攻撃を受けた際の影響への懸念も大きい。具体的には前述のサイバー攻撃のように、水処理のシステムへのサイバー攻撃によって、安全ではない水が供給されたりすることが懸念されている。
これらのことからも水道事業者におけるサイバーリスクは安全保障上のリスクであり、政府は企業に対して攻撃の情報を共有し、防御を強化することに協力するよう求めている。ただし、水道事業者はCISA(サイバーセキュリティ・インフラセキュリティ庁)の監督下にあるものの、エネルギー・金融・電気通信などとはことなって小規模の事業者も存在している。そして、小規模の事業者には当てはまらないこともある。
ただし、既に展開されている電力事業者や天然ガスパイプライン事業者に向けた計画同様に、このイニシアチブへの参加は任意とされているが、150以上の電力会社が参加して既に追加のサイバーセキュリティに取り組んだか、取り組んでいる過程にある。
水道事業者に向けたイニシアチブでは、人口の多い地域のシステムほど影響を受ける人が多いため、そのような地域のシステムから始めるとしている。
それでは最後に、この「行動計画」の内容に触れてみたい。
この取り組みの主な目的は2つ。
これらを実現するために、サイバーセキュリティを適応させていくことだ。
また、水道事業者に向けた取り組み固有の内容としては、既に監視技術を導入している水道事業者を関与させていくことが含まれている。
天然ガスパイプライン事業者に向けた取り組みではTSA(運輸保安局)によって発行されたサイバーセキュリティ指令の対象となっているが、水道事業者に向けた取り組みは基本的なサイバーセキュリティ要件を満たすといったところに限定している。
天然ガスパイプライン事業者に向けたサイバーセキュリティ指令は、当局の自主的なガイドラインに照らしてその慣行を分析することを要求する指令と*5、機密性の高い情報であるため*6非公表とされている指令との2つで構成されている。
しかし、この指令を発行するにあたって事前に議会へ共有されなかったため、その動機とプロセスについて国土安全保障省および政府問題委員会のメンバーであるロブ・ポートマン上院議員が調査を依頼し*7、TSAとCISAは利害関係者や専門家からの十分なフィードバックを考慮せず、要件には柔軟性が欠けているとも指摘している。
不特定多数が情報にアクセスできることによって、その取り組みが骨抜きになる可能性もあり、痛し痒しといったところだろう。
重要インフラ事業者に該当しないからといって、インシデントの早期発見ができなくても良いというわけにはいかない。民間企業でも厳しい要件を求められる重要インフラ事業者の取り組みも、大いに参考としていかれると良いだろう。
インシデントに気付くのが遅かったことは、水に流そうとはならないのだから。
*1サイバーリスクFish & Tips:サイバーセキュリティを単なるコストセンターにはしない
*4サイバーリスクFish & Tips:迅速な行動により、被害を最小限に抑える
*6https://www.tsa.gov/for-industry/sensitive-security-information
英国のサイバーセキュリティ・サイエンティスト。
サイバーセキュリティ企業の経営者としておよそ20年の経験を持ち、経営に対するサイバーリスクの的確で分かりやすいアドバイスに、日本を代表する企業経営層からの信頼も厚い。近年は技術・法規制・経営の交わる領域においてその知見を発揮している。