日本の企業が欧米企業を買収するIn-OUT型M&A(合併・買収)は、国内の少子高齢化、産業空洞化に伴い、近年でもなお活発な状況にあります。これは昨今の円安・外貨高で買収コストが大きく増えている環境の中においても、『技術の獲得』や『マーケットの拡大』などの事業戦略を背景に、大規模なM&Aが相次いで行われています。最近では製造業N社が米国の老舗企業買収完了を目指していますが、国家安全保障や雇用確保への懸念もあり、米国大統領をも巻き込んで連日紙面を賑わしています。理由は様々ありますが、総じて欧米企業は文化、習慣が全く異なる上、独立精神が高い傾向があるために、合併して軌道に乗せるまでに大きな困難が伴うケースが少なくありません。保険の観点においては、買収された企業の保険と本社が手配しているグローバル保険プログラム(以下GIP)保険との統合作業が行うことが一般的です。ついては、商取引契約においても大切となる賠償責任保険の統合に焦点をあてて、どのようなことに留意して買収した欧米企業をGIP保険に取り込み、最適なGIP保険を構築していけばよいのか、検証してまいります。
本社発で既に賠償GIPを組成している場合、子会社となった買収先の保険契約もGIPの中に組み入れていくことは、スケールメリットを生み出していく上でもごく自然な流れです。これはコスト削減に直結するだけでなく、より大きな補償額や広い保険カバーを享受することに繋がるからです。また保険にとどまらず、リスクマネジメントの一元管理、グローバル対応力強化、そしてガバナンス強化にも繋がり、本社機能としてグループ全体を俯瞰して管理、運営する観点でも大変有益となります。
しかし、買収先企業にとっては、そのメリットを理解しながらも、これまで現地に根付いたビジネスの商慣習や人的な付き合いが長年に渡って定着していることから、既存の枠組みを断つことは容易なことではありません。また、これまで努力を重ねて築き上げてきた保険プログラムに自信、自負を持っていることも一般的です。従って、保険プログラムの内容、各種サービス、そしてシステムやデータ管理に至るまで変更を余儀なくされることで、リスクマネジャーを始め従業員からも抵抗や反発を招くことも稀ではありません。
そこで、GIP保険プログラムへの移行検討に伴うPMI(Post Merger Integration)を成功させるためには、何に留意していけばよいのでしょうか。
まず始めに、統合することによるメリットを丁寧に正しく伝えることから取り組んでいくことが肝要です。
その上で、保険の窓口となるリスクマネジャー(もしくはトレジャラーや経理、総務の保険窓口の方)との密なコミュニケーション、関係作りが大切になってきます。
リスクマネジャーの多くは本社発のプログラムの傘下に入ることで、独立性、主体性が失われ、管掌範囲が狭まるのではないかと疑念を覚えることが少なくありません。そうなってしまっては新しいプログラムへの移行に対するモチベーションが下がり、GIPに統合できたとしても、上手く機能しません。大事なのは、各リージョンの意向を尊重した仕組みを構築し、移行によるメリットを最大限に理解してもらうことです。一般的に賠償責任保険における欧米地域のリスク量は日本より大きく、保険料ボリュームの全体に占める割合も相対的に大きいため、プログラム運営の成否を握っていると言っても過言ではありません。
運営体制の一例として、社内でグローバルリスクを討議するコミッティー(委員会)を立ち上げることが挙げられます。リスクマネジャー主体の運営体制を敷いて、コミッティーの中心的役割を担ってもらいます。保険プログラムの内容、ロス情報、ロスプリベンションに至るまで、様々な角度からリスク情報につき討議し、検証を行っていきます。保険にとどまらず、そのリスクは自社内で保有すべきなのか、あるいはリスクが大きすぎる場合には事業の撤退という選択肢もあります。リスクマネジメントは事業を推進するにあたっての重要な指針であり、時として事業の行方を左右する要因ともなります。
晴れてGP保険への移行が合意に至った場合、漏れが発生しないようシームレスな補償を確保する必要があります。とりわけ現行保険条件のトリガーがClaims Madeベースとなっている場合で、保険会社が変更になる場合に注意が必要です。下図のとおり保険を切り替える時点で事故は既に発生しているものの、賠償請求がされていない事案について別途カバーを手配する必要がでてきます。
対処方法としては、まずテイルカバーを手配する方式があります。最近のISO約款のClaims made basisの例でみてみますと、保険契約が解約または非更改になった場合には、Extended Reporting Period(以下ERP)という条項が設けられていることが一般的です。内容としては保険期間内(もしくは保険失効後60日以内)に既に発生している事故を保険会社へ報告することを条件に、その後賠償請求の通知期間が5年間延長されるというものです。これはBasic Reporting Period(ショートテイルとも呼ばれております)というもので、追徴保険料も発生しません。
一方で市場滞留を考慮して5年を超えて通知期間延長が必要と判断される場合には、現行保険料の200%を上限とした追徴保険料を払うことにより、Supplemental Extended Reporting Period(ロングテイルとも呼ばれております)を選択することもオプションとなります。ただし、ISO約款のテイルカバーの内容は保険会社によって対応が異なり、ERPの適用にも各種前提条件があることから、保険証券の内容を事前によく精査する必要があります。この他、事故発生日を延長する形のテイルカバーを手配する方式や、新しい保険会社で遡及日を引継ぐノーズカバー(遡及カバー)を手配することも、シームレスなカバーを確保する有力な選択肢となります。
買収した企業のカバレッジを精査していくと、日本のアンブレラ/エクセスではカバーが困難なリスクが混在していることがあります。例えばドイツに所在する企業を買収し、本社発GIPの第一次保険として取り込む際、リコールリスク、環境賠償リスク、純粋経済損等のリスクが、特約として拡大カバーされていることがあります。
この背景としては、環境保護、消費者保護に関する強力な規制を設けていることや、世界の中で最も競争力ある保険市場の一つであること等から、商慣習的に提供されているものとなっております。日本ではこれらのリスクを賠償責任保険のプログラム傘下に入れることは、①リスク量が通常の賠償リスクよりはるかに大きいこと②商品のカテゴリーが異なること③ビジネスリスクの要素が大きいこと、等の理由から、アンブレラ・エクセスで上乗せカバーを手配することに困難を伴うケースが多く、免責となることが想定されます。
その際に考えられる選択肢としては、①ローカル保険にて特殊カバーは最大限手配し、PLや施設賠の一般賠償リスクのみGIPで手当する②単独で特殊カバー(リコール保険、環境賠償責任保険、E&O保険)を手配する、の2点がオプションとして検討可能です。
以上欧米企業を買収した際の賠償・グローバル保険プログラム(GIP)の留意点をみてきましたが、世界のGIPは千差万別で、同一なものは一切ありません。何より大事なことは、リスク自体の内容、リスク所在国の特性、そしてそれを担う組織の属性を十二分に踏まえた上で、最適なGIPを構築していくことが大切となります。
大手損害保険会社にて引受、企業営業、国際部門を経験し、直近では米国にて海外事業を牽引。
多数のグローバル保険プログラムの組成、運営、管理に従事。専門領域はライアビリティ並びにリスクマネジメント全般。